幻のセーラー服
2012年 06月 27日
ネット友が掲示板に、中学生の頃の写真を貼ってくれた。
ネット友でもあり、アラカン友達でもあるから
中学生の頃って言ったら、はるか昔(^^ゞ
でも、中学生の頃の写真って、今の子供達とあまり変わらない気がする。
制服だって、セーラー服と詰襟の学生服という標準的なもの・・
考えれば、このスタイルって
デザインやスカートの長さが微妙に変わってるけれど
基本的にセーラー服と詰襟・・母の代でもそうだったし。(青い山脈時代ね)
でも、私は残念ながらセーラー服が制服になっている学校に行ったことがない
私が通った中学は男子は詰襟だったけれど、
女子はジャンパースカートにテーラーカラーのジャケット・・
セーラー服は、やっぱり一度は着てみたかったな
いえ・・厳密に言えば、一度は着ちゃったんだ・・セーラー服(~_~;)
中一の夏・・6月
通っていた中学も「衣替え」になった。
夏の制服は、ジャンパースカートから普通のスカートに。
ブラウスは・・
これがちょっと変わっていたのだけれど
基本は白の丸衿のブラウスだけれど
白なら指定のブラウスでなくてもいい・・というアバウトな規定だった。
ブラウスに多少の刺繍などもOK
それで、先輩なども
長袖半そで、丸衿や角衿など、よくみると様々、個性的にブラウスを選んでいた。
その頃、私は、
小学校の時に神戸から転校してきた、おしゃれで美人の女の子と仲良しで
家もすぐ近所ということもあり家族ぐるみで付き合っていた。
その彼女と
何故そういう話になったのか覚えてないけれど
学校に来て行くブラウスを
「セーラー服」にしたいね、という事になった。
彼女もセーラー服に憧れていたんだろう。
私はなんの躊躇もなく
白いセーラーカラーに紺の線がキリリと入り
スカートは学校指定のデザインで、ブラウスの紺色と同色。
そんな服をデザインしそれを母に作ってもらった。友人のブラウスも一緒に。
友人の母も、私の母も、なんの違和感もなく、
皆で出来上がっていく「セーラーブラウス」を楽しんだ。
そして、仕上がって・・
それは見事にステキだった。
今、思い出してもウットリするくらいステキな出来栄えだった。
そして、6月のある日
友人と二人で、意気揚々と、そのセーラー服を着て
中学校へ登校した。
当時、身長がすでに160センチ近くあった二人のセーラースーツ姿
かなり目立ったと思う(~_~;)
特に、友人は、本当に美形で宝塚を夢見てた人だったから
私は、引き立て役ながらも、意気揚々と二人で登校した。
マズイなんて、これぽっちも思わなかった。
だってブラウスは自由だったし、
セーラー服という「女学生の代表」みたいな服なんだから
模範の服装でしょ・・ってなもんで(^^ゞ
が!
いかがなものか・・と難癖をつけた人がいた。
生徒会の役員だった女の先輩と、その仲間達(~_~;)
校庭で私達が歩いてるのを遠くで見ていたのだけれど・・突然呼びつけられた。
数人でぐるっと取り囲む(こわっ!でも、相手は生徒会役員)
「その服、どうしたの?」
イケナイ・・とは言わなかった。
「一応、この学校には標準服というものがあるのよ・・」
イケナイとは言わないけれど、目が強く「イケナイ」と言っていた(~_~;)
こうして
私のセーラー服は二度と登場することはなかった。
え?それでおしまい?まあ、後日談はあるのだけれど、今はこれでおしまい。
でも、たった一日だったれど、楽しかったな(笑)
今思うと、あれはイエローカードでしょうね、当然(笑)
私もよくまぁ、学校にセーラー服を着て行くなんて考え付いたと思うし
母もよくまぁ、二つ返事で作ってくれたと思うし
友人もそのお母さんもよく付き合ってくれたと思う
親も含めて、若かったのかしらね
でも、楽しい思い出よ^m^
これから
怖いもの知らずで傍若無人で、全てが輝いている
青春真っ盛りの時代が始まる、
中一の夏の事です。
ネット友でもあり、アラカン友達でもあるから
中学生の頃って言ったら、はるか昔(^^ゞ
でも、中学生の頃の写真って、今の子供達とあまり変わらない気がする。
制服だって、セーラー服と詰襟の学生服という標準的なもの・・
考えれば、このスタイルって
デザインやスカートの長さが微妙に変わってるけれど
基本的にセーラー服と詰襟・・母の代でもそうだったし。(青い山脈時代ね)
でも、私は残念ながらセーラー服が制服になっている学校に行ったことがない
私が通った中学は男子は詰襟だったけれど、
女子はジャンパースカートにテーラーカラーのジャケット・・
セーラー服は、やっぱり一度は着てみたかったな
いえ・・厳密に言えば、一度は着ちゃったんだ・・セーラー服(~_~;)
中一の夏・・6月
通っていた中学も「衣替え」になった。
夏の制服は、ジャンパースカートから普通のスカートに。
ブラウスは・・
これがちょっと変わっていたのだけれど
基本は白の丸衿のブラウスだけれど
白なら指定のブラウスでなくてもいい・・というアバウトな規定だった。
ブラウスに多少の刺繍などもOK
それで、先輩なども
長袖半そで、丸衿や角衿など、よくみると様々、個性的にブラウスを選んでいた。
その頃、私は、
小学校の時に神戸から転校してきた、おしゃれで美人の女の子と仲良しで
家もすぐ近所ということもあり家族ぐるみで付き合っていた。
その彼女と
何故そういう話になったのか覚えてないけれど
学校に来て行くブラウスを
「セーラー服」にしたいね、という事になった。
彼女もセーラー服に憧れていたんだろう。
私はなんの躊躇もなく
白いセーラーカラーに紺の線がキリリと入り
スカートは学校指定のデザインで、ブラウスの紺色と同色。
そんな服をデザインしそれを母に作ってもらった。友人のブラウスも一緒に。
友人の母も、私の母も、なんの違和感もなく、
皆で出来上がっていく「セーラーブラウス」を楽しんだ。
そして、仕上がって・・
それは見事にステキだった。
今、思い出してもウットリするくらいステキな出来栄えだった。
そして、6月のある日
友人と二人で、意気揚々と、そのセーラー服を着て
中学校へ登校した。
当時、身長がすでに160センチ近くあった二人のセーラースーツ姿
かなり目立ったと思う(~_~;)
特に、友人は、本当に美形で宝塚を夢見てた人だったから
私は、引き立て役ながらも、意気揚々と二人で登校した。
マズイなんて、これぽっちも思わなかった。
だってブラウスは自由だったし、
セーラー服という「女学生の代表」みたいな服なんだから
模範の服装でしょ・・ってなもんで(^^ゞ
が!
いかがなものか・・と難癖をつけた人がいた。
生徒会の役員だった女の先輩と、その仲間達(~_~;)
校庭で私達が歩いてるのを遠くで見ていたのだけれど・・突然呼びつけられた。
数人でぐるっと取り囲む(こわっ!でも、相手は生徒会役員)
「その服、どうしたの?」
イケナイ・・とは言わなかった。
「一応、この学校には標準服というものがあるのよ・・」
イケナイとは言わないけれど、目が強く「イケナイ」と言っていた(~_~;)
こうして
私のセーラー服は二度と登場することはなかった。
え?それでおしまい?まあ、後日談はあるのだけれど、今はこれでおしまい。
でも、たった一日だったれど、楽しかったな(笑)
今思うと、あれはイエローカードでしょうね、当然(笑)
私もよくまぁ、学校にセーラー服を着て行くなんて考え付いたと思うし
母もよくまぁ、二つ返事で作ってくれたと思うし
友人もそのお母さんもよく付き合ってくれたと思う
親も含めて、若かったのかしらね
でも、楽しい思い出よ^m^
これから
怖いもの知らずで傍若無人で、全てが輝いている
青春真っ盛りの時代が始まる、
中一の夏の事です。
by dansantokamisan
| 2012-06-27 13:48
| 若かりし頃の話