無題

前回の記事でポールマッカトニーが、

49年経った今でも変わらない雰囲気だったことと

偉く(?)なった高校の同窓生が、

昔の面影無いくらい立派(^m^)な風貌になった話をしたね


実は、この記事は「前振り」で、私の中では、

この後「本題」の話をしたかったの

相変わらずバタバタ忙しくて、

すぐには「本題」に入れず、今になってしまったけど。


ちょっと長い本題ですm(__)m


2010年の7月7日に

下のような記事を「ビタミン」に書きました。

リンクで飛んでもらってもいいんだけど、ここにコピーします。


(2010年・・あの頃って、まだ震災も無くて

父もいて、SOUはまだ生まれてなかったんだな・・いろいろ、しみじみ)

______________________________

(2010年7月7日記)

横浜に帰って、私が山梨に行くための支度で2階にいたときの事

母が上がってきて、私に「この間さぁ~」って話し始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに歯医者に行ったのよ~

ー母は虫歯がなく、8020・・80歳で20本は確実。半年に一回、歯石を取りに行くだけー

そうしたら後から男の子が入ってきてね。

隣に座ったの。

で、少ししたら「あのう~」って声を掛けられたの。

「もしかして〇〇さんのお母さんじゃないですか?」って

ー〇〇さんって私の事(^_^)vー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのあとの母の話は、こうだ。

「はい、そうですが?」って言う母に

「やっぱり!ボク、中学の時に同級だった〇田です」

って、その彼が言ったんだって。

え~~っ!!て母は驚いちゃって。

その彼を母はよ~~く知ってる。

知ってるけれど一瞬、名前を言われたときに

彼自身じゃなくて、彼の息子さんじゃないかと思ったって。

だけど、彼の息子さんなんて会ったこともないんだから。

母はその少し後、名前を呼ばれて診察室に行ったので

さほど話は出来なかったらしいけど。

あまり若くてビックリしたそうな。


まぁ、そうは言っても母の感覚だから~・・

流石に息子さんと間違うほど若かったとは思わないけれど


少なくても、〇田クンは

極端に体型や髪型が変わっていなかったっていうのは確かな事だな、うん。


良かった良かった。


近所だしね、


彼は商売してるから、そこに住んでるしね。


いつバッタリか判らないもん。


良かった良かった・・・

初恋の人には、あまり様変わりしてほしくないもんね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と、まあこんな記事でした(^^ゞ

要するに、初恋の人が

もしかしたら、今でもそんなに風貌が変わってないかもよ・・だといいな・・っていう

馬鹿馬鹿しい記事でした(^^ゞ




それから5年経った今・・の話を、ちょっとだけしたくて、

こうやってキーボードに向かってます



その彼とは、あれから何度かバッタリと外で遭う機会に恵まれました(笑)

(御近所ですからね、

私も、父が入院してから以前より頻繁に横浜に帰ってますし)

確かに偶然バッタリ遭っても「あ!」ってわかるくらい、変わってなかった(^^ゞ

ポールマッカトニーがそうだったくらいに^m^

やっぱり内心、嬉しかったです。

あの、クラスで一番人気者だった彼には

面影残して欲しかったもの~・・母の話はオーバーとしてもね(爆)



そして、まだ後日談があります

今現在は・・・

多分、私より、ダンさんのほうが彼に頻繁に会ってるかも?^m^


実は、彼は理容店のマスターなのです。

お爺様の代から続く床屋さんで、

うちの父も昔は通っていました

彼は中学入学の頃から「店を継ぐんだ」と決めていて、

「進路を決めていて偉いなあ」と胸をときめかした記憶が(笑)

その理容店に・・二年位前かなあ・・

ダンさんが興味本位(笑)でその理容店に行って・・

事の他、仕上がりが気に入ったらしく、次に横浜に行った時にも

また理容店に行って・・

マスターが覚えていてくれたので、そこで初めて

正体を明かしたそうです(笑)

正体って・・オーバーだね、幼馴染のオバチャンのダンナ・・ってだけなんだけど。

マスターは

「中学の頃は、〇〇さん(私)に虐められましたよ~」って言ったそうな。

「今じゃ、ぼくが虐められてますよ~」ってダンさんが応えたそうな^^;

その後も、ダンさんは

髪が伸びてくると「横浜に今度はいつ行こうかな」って言います。

「今度、マスターに横浜のおいしい飲み屋を教えてもらおう」って言ってます。

あらら、なんかいい感じじゃない(笑)


あのね

私が中学の二年生の時に

クラスで担任主導の人気投票みたいなものがあったんです

(各自がクラスメートの数人を性別関係なく選んで、

その人の名前と「ここが長所です」って言うのを、

無記名でカードに書くの。

そして担任が後で集計して本人に知らせるというもの)

結果は非公開だったけれど、

担任が何故か私に一番票の多かった人を教えてくれたの。

男女合わせても彼が一番でした。

女子だけでなく、男子にも人気が有るのよね~・・って

担任が感心して話してくれたのを思い出しました。

きっと、今でもその人気の元の性格は変わって無さそう。

だってダンさんが通うんだもの^m^


先日もマスターがダンさんに

「休日などに散歩で(横浜の実家の)前を通る時には

何気なく変わったことがないか注意してます」って言ってくれたんですって。

母がひとりでいることを知っててのことだもの・・ありがたいね

これも、単に私と幼馴染だけだったら無かったことだと思う。

ダンさんとマスターの関係が出来たからだね♪嬉しいな


それにしても・・なんだか不思議な気がする(笑)







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by dansantokamisan | 2015-05-06 10:27 | 若かりし頃の話 | Trackback

若かりし頃の話」を書いた勢い(笑)でもうひとつ。
タクシーに乗った話を書いていたら、思い出したことがあって、
これも書いておこうって思って・・




高校の修学旅行のときの思い出話。

修学旅行・・私は「山陰山陽」を選んだ。

選んだ?

そう、私の高校は行き先が「山陰山陽」と「四国」の2コースがあり

個人で好きなほうを選んで行かれたんだ。

私は友人たちと相談して同じコースを選んだんだけど、

友人の一人は他のクラスに片思いの男子がいて、

その男子と同じコースに行きたいって、情報集めに躍起になってたっけ(^^ゞ

その男子は私と中学が一緒で、生徒会を一緒にしていた仲だったので

友人は私に「どっちのコースに行くか、彼に聞いてきて~!」って大騒ぎだった^^;

あ、また話が脱線(笑)

きょうはその話じゃないんだ

(と、いいながら・・余談だけど、彼もめでたく一緒のコースになったよ)


その修学旅行で萩でのフリータイムの時の出来事。

決められた時間までに宿に帰ればいいという事で

友人数人とフラフラ(キャーキャーかな)観光まがいの事をして

最後には「やっぱり萩と言えば萩焼でしょう」・・と、

とある小さな小さな萩焼のお店に入った。

商店街の店でもなく、老舗風でもなく

間口が一間半くらい・・奥行きは少しはあるけれど

お店はお世辞にもお洒落とは言えない、味も素っ気もない作り

品物だけが棚にたくさん並べられて、お店の奥の薄暗い壁に

振り子時計が掛かっていた。


今思うと、味があって私の嫌いじゃないタイプの店なのだけれど

あの頃・・・女子高生の私たちが、どうしてあの店を選んだのかは

今はもう記憶にない。


そこで、私たちはそれぞれ、気に入った萩焼の器を買い

包装してもらうことになった。


お店の御主人は、痩せた初老のおじさん・・・だと

記憶しているのだけれど・・

実際にはもっと若かったかもしれない。

思春期の頃の記憶では、

大人はみんな「おじさん」「おばさん」だったから^^;


そのお店のおじさんが、包装してくれるんだけど・・

動作がゆっくりなんだ・・・やたら、丁寧っていうか・・・遅い!

最初は、のんびりと待っていた私たちなのだけれど・・

そのうちなんだか不安になってきた。

決められた門限までに間に合うか、心配になってきたのだ。

余裕をジュウブン持たなかったのが悪いのだけれど

それにしても、このスローペースは尋常じゃない(^_^;)

結構、マジメな生徒だった私達・・

門限に遅れるなんて、ありえなかったのだ(笑)

途中からは、私たちは、包装しているおじさんのすぐ上にある

振り子時計ばかりをイライラしながら見ていた。

おじさんは、そんな私達の気持ちを知ってか知らずか

最後までスローペースを崩さない・・

もしかしたら、私達、

その間に「間に合うかな」「だいじょうぶかな」なんて

ヒソヒソしていたかもしれない・・いや、きっとしてた(^^ゞ


やっと包装がすんで、ダッシュでお店を出ようとしたとき

おじさんが、ノンビリと

「門限、何時ですか~?」と聞いてきた。

私達「〇時です!!」って多分早口で、

もしかしたら、キッとして答えたかもしれない(^_^;)

すると、おじさん

「宿まで車で送って行きますよ~」と、またノンビリと。

え?

私たちがキョトンとして返事もしていないのに

おじさんは

「いらっしゃい」と、スタスタと店の奥から続いた

裏庭(?)に私たちを促した・・

そこで

「乗りなさい」って言われた車・・・


黒塗りの

外国映画でしか見たこともない大きな車だった。

多分・・・ロールスロイスっていう車だったんじゃないかな



ビックリしている私たちを車に乗せ

その大きな車は、間もなく

宿のすぐ前にピタリと停まり

私たちはまるでお姫様のように、その車から降りて

優雅に宿に入って行った(笑)

勿論、おじさんにお礼を言って・・憶えてないけれど

品行方正な女子学生だった私達だもの、当然言ったに決まってる(笑)


お礼をいったかどうかは憶えていないけれど

宿に定刻どおり、

しかもあんなサプライズな形で着いた私たち

周囲の友人たちのビックリした顔を見ながら

なんだか理由もなく可笑しくて可笑しくて

そして嬉しくて嬉しくて

おなかを抱えてゲラゲラと笑い転げたことは

キラキラと覚えていて・・

今思い出しても・・ニヤニヤしてしまう。

もう45年も前の話です。







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by dansantokamisan | 2015-03-07 11:52 | 若かりし頃の話 | Trackback

先日の飲み会からの帰途はタクシーだった。

運転手さんがとても話好きで、

乗っている最中、ずっといろいろな話をしてくれて。

主にタクシー業務の裏話やエピソード。

まぁ、私が振ったからではあるけれど、

「へ~っ」っとビックリする話も出て面白かった。

そのエピソードの中で、こんな話を聞いた。


深夜に長野駅近くで客待ちをしていると

一人の若い男性が、「名古屋まで幾ら位掛かりますか」と声を掛けてきた。

場所にもよるけれど10万くらいだというと

手持ちが8万しかないけれど、行ってくれないだろうかと相談された。

始発の新幹線で行くほうがよほど安く行かれるのだけれど

それでは間に合わない事情があって(私も聞いたけれど、ここでは省略)

結局そのタクシーの運転手さん、8万の約束で名古屋まで走ったそうな。

でも名古屋は名古屋でも長野からは遠い端のほうで、

実際には10万でも追いつかない額になったそうだから、

大サービスだったらしい(^^ゞ


家に着いてから

ダンさんに、今聞いたばかりの話をした私・・

ふと、昔々の些細なことが蘇ってきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

中学の1年の時だと思う。

あの頃、世の中は「GSブーム」だった。

GSって言っても、若い人はなんのことかわからないでしょうね。

GS・今、検索したら・・出てこないのよ、笑っちゃう。

group sounds・・の略で、

当時はGSって言ったらこの意味だったんだけどね。

和製英語だったんだね。

あの当時、雨後の竹の子みたいに、いろんなグループが出てきて

テレビも雑誌もGS一色になったっけ。


私も一時、夢中になってたなあ・・

それこそ、仰天のエピソードがたくさんあって

思い出すと笑えるし懐かしい・・

きょうは、そのGSの思い出じゃあないんだけどね



そのグループの中のひとつのメンバーが

私の住む町の近くに住んでいたの。

当時は今みたいに個人情報云々の時代じゃないから

芸能人の住所なんかもバンバン出てた。

今ではとてもじゃないけどありえないね。

(そういえば思い出話で
「個人情報」のエピソードを書いたっけ)

で、中学生の私は、友人を誘って、その彼の家を訪ねたわけ。

確か、ファンレターとかプレゼントを持って行ったような・・・

バスで行ったのかなあ・・住所しかわからないし当時はナビもないから

人に聞きながら行ったような気がする。


やっと辿りついた一軒家、表札もちゃんと出てた^^;

チャイムを押して(大胆だね~)

中から出てきたのは、そのメンバーのお母さん(^^ゞ

お目当てのボーカリストは仕事で留守だったけれど

おかあさんはとても感じよく応対してくださって、

確か何か戴いたと思う。

多分、ファン向けのグッズだった気がする。

帰りに私たちはもう天にも昇る気持ちだった。

当人には会えなかったけど、お母さんが感じよく接してくれただけで

大満足だった。

さて帰ろう・・とした時・・

ここからがよく憶えていないのだけれど、

私たちは何故かタクシーに乗るのだ。

帰りのバスがわからなくなったのか、

バス停までの道がわからなくなったのか

それとも緊張がほぐれて疲れたのか、定かでないが

とにかく、急きょタクシーで帰ることにしたのだ。

何故、それが予定外の事だったと確信しているかというと・・

タクシーの運転手さんに、

二人の財布の中身を合わせた金額を見せて

「これで、〇〇駅のほうに、行かれるだけ行ってください」と

頼んだ記憶があるから。

途中で降ろされたら、あとは歩ける・・と思ったのだろうか・・

そこの心理は憶えてない

中途半端な場所で下ろされたら、無一文で後はどうするつもりだったか?

子供だったんだね・・

変に度胸があって、怖いもの知らずだったね

タクシーの中で

二人は「小さな冒険」を果たせた満足感の中で

その話に饒舌になっていたと思う。

運転手さんにも、その「武勇伝」を嬉々として話していたと思う。

(当時の中一なんて、本当に幼くて子供だったからね)

そして・・

タクシーは、行かれるだけ行ってくれた・・

行かれるだけ・・・二人の家のすぐ傍まで行ってくれたのだ。

当たり前のように降りて、私たちは当たり前のように家に帰った。

料金がちょうど足りて良かったと普通に思っていた。

それっきりだった。



だけど・・・

最初に話した、名古屋まで走ったタクシーの話から

ふと・・もしかしたら・・と、今頃思った^^;

あの当時・・二人とも、ろくにお小遣いも持っていなかったはず。


もしかしたら

あの運転手さん、あのあと、話好きのお客さんを乗せた時

「この間、二人の中学生の女の子が乗ってきましてね・・」

な~んて、話したかも^m^

だとしたら・・50年近くも経った今頃だけれど

その節は・・ありがとうございました(^^ゞ









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by dansantokamisan | 2015-03-05 22:22 | 若かりし頃の話 | Trackback

きょうはちょっと気持いい日なので。

ダンさんに「お疲れ様」って言ってワインをおいしく飲んでいる日なので。

きょうはダンさんが主役の日なので。


ダンさんが、今さっき話した、懐かしい思い出を

私が代筆。

昭和の思い出です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新宿のゴールデン街

昭和60年代かな・・昭和の終わりごろ

出張で東京に行って、

その夜、どうしても行きたかったところに向かったダンさん


・・・って、あのさ、

新宿のゴールデン街って言ったって、誰かさんが想像するお店じゃないですから(笑)


行きたかったのは

ダンさんが尊敬する内藤陳さん経営の「深夜プラス1(ワン)」というバー

(興味ある方は、検索してね)

ひとりで行くのはちょっと怖い(笑)と

当時、東京住まいで、

ダンさんよりはるかに年上に見えて、貫禄ありげな弟を誘って^^;

そこには

ダンさん憧れの内藤陳さんがカウンターの向こうにいて、

初めて行ったダンさんと

ミステリー談義をしてくれたそうな。

初めて行ったし、長野からなのに、

ダンさんは薦められるままにボトル(バーボン)を入れることに。


ボトルの名前は、

本名じゃなくてミステリーに関する何かにするのが、このお店の決まり。

で、ダンさんは

「長いお別れ」とか「Yの悲劇」とか、もっとマニアックなものも含めて

いろいろ出してみたけれど、

みんな「それ、もう使われています」と、ことごとく却下。

で、困惑していたら、弟が(それほどミステリーに詳しくない)

最近、お兄さん(ダンさん)の影響で読んだ小説の主人公

「レッドダイヤモンド」を出したら

陳さんが「おっ!それいいね~♪」っとボトルのネーミングが決定。


ダンさん、未だに「弟に先を越された」と口惜しがっている(笑)




その翌日・・多分・・いえ、きっと金曜日だったはず

ダンさんは東京での仕事の後、まっすぐ長野に帰らずに

また深夜プラス1に寄るのです、今度はひとりで。

二日続けて、長野という田舎から来た、ミステリーファンの若者を

陳さんは快く迎えてくれて

その日は結局、店のカウンターで明け方まで過ごし

始発で長野に帰ると言う、武勇伝をやってのけるのです


そのご褒美というか

乗り・・というか

ダンさんは、陳さんから

「深夜プラス1長野支部長」を拝命したのです(大笑)


ダンさんが、今だに自慢している「若き日のエピソード」のひとつです。


ちなみに

その大きくない店「深夜プラス1」で一緒になった

お客さんは


ミステリー作家の志水辰夫さん

サックス奏者の中村誠一さん

など。

今、その話を聞くだけでも

「ダンさん、よくそんなお店にフラッと入っていったなあ」と感心する私です。


それから

ず~~っと経った2011年暮れに内藤陳さんは亡くなって

深夜プラス1も今は無いけれど

あの時の話をするダンさんは、あの時のキラキラ感のまんまです^m^
 



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by dansantokamisan | 2014-12-10 22:49 | 若かりし頃の話 | Trackback

幻のセーラー服

ネット友が掲示板に、中学生の頃の写真を貼ってくれた。

ネット友でもあり、アラカン友達でもあるから

中学生の頃って言ったら、はるか昔(^^ゞ

でも、中学生の頃の写真って、今の子供達とあまり変わらない気がする。

制服だって、セーラー服と詰襟の学生服という標準的なもの・・

考えれば、このスタイルって

デザインやスカートの長さが微妙に変わってるけれど

基本的にセーラー服と詰襟・・母の代でもそうだったし。(青い山脈時代ね)


でも、私は残念ながらセーラー服が制服になっている学校に行ったことがない

私が通った中学は男子は詰襟だったけれど、

女子はジャンパースカートにテーラーカラーのジャケット・・

セーラー服は、やっぱり一度は着てみたかったな

いえ・・厳密に言えば、一度は着ちゃったんだ・・セーラー服(~_~;)





中一の夏・・6月

通っていた中学も「衣替え」になった。

夏の制服は、ジャンパースカートから普通のスカートに。

ブラウスは・・

これがちょっと変わっていたのだけれど

基本は白の丸衿のブラウスだけれど

白なら指定のブラウスでなくてもいい・・というアバウトな規定だった。

ブラウスに多少の刺繍などもOK

それで、先輩なども

長袖半そで、丸衿や角衿など、よくみると様々、個性的にブラウスを選んでいた。




その頃、私は、

小学校の時に神戸から転校してきた、おしゃれで美人の女の子と仲良しで

家もすぐ近所ということもあり家族ぐるみで付き合っていた。


その彼女と

何故そういう話になったのか覚えてないけれど

学校に来て行くブラウスを

「セーラー服」にしたいね、という事になった。

彼女もセーラー服に憧れていたんだろう。


私はなんの躊躇もなく

白いセーラーカラーに紺の線がキリリと入り

スカートは学校指定のデザインで、ブラウスの紺色と同色。

そんな服をデザインしそれを母に作ってもらった。友人のブラウスも一緒に。

友人の母も、私の母も、なんの違和感もなく、

皆で出来上がっていく「セーラーブラウス」を楽しんだ。

そして、仕上がって・・

それは見事にステキだった。

今、思い出してもウットリするくらいステキな出来栄えだった。


そして、6月のある日

友人と二人で、意気揚々と、そのセーラー服を着て

中学校へ登校した。


当時、身長がすでに160センチ近くあった二人のセーラースーツ姿

かなり目立ったと思う(~_~;)

特に、友人は、本当に美形で宝塚を夢見てた人だったから

私は、引き立て役ながらも、意気揚々と二人で登校した。


マズイなんて、これぽっちも思わなかった。

だってブラウスは自由だったし、

セーラー服という「女学生の代表」みたいな服なんだから

模範の服装でしょ・・ってなもんで(^^ゞ



が!



いかがなものか・・と難癖をつけた人がいた。


生徒会の役員だった女の先輩と、その仲間達(~_~;)


校庭で私達が歩いてるのを遠くで見ていたのだけれど・・突然呼びつけられた。


数人でぐるっと取り囲む(こわっ!でも、相手は生徒会役員)

「その服、どうしたの?」

イケナイ・・とは言わなかった。

「一応、この学校には標準服というものがあるのよ・・」

イケナイとは言わないけれど、目が強く「イケナイ」と言っていた(~_~;)


こうして

私のセーラー服は二度と登場することはなかった。

え?それでおしまい?まあ、後日談はあるのだけれど、今はこれでおしまい。


でも、たった一日だったれど、楽しかったな(笑)



今思うと、あれはイエローカードでしょうね、当然(笑)

私もよくまぁ、学校にセーラー服を着て行くなんて考え付いたと思うし

母もよくまぁ、二つ返事で作ってくれたと思うし

友人もそのお母さんもよく付き合ってくれたと思う

親も含めて、若かったのかしらね

でも、楽しい思い出よ^m^




これから

怖いもの知らずで傍若無人で、全てが輝いている

青春真っ盛りの時代が始まる、

中一の夏の事です。

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by dansantokamisan | 2012-06-27 13:48 | 若かりし頃の話 | Trackback

春なのにコスモスみたい

運転しながらFMラジオを聴いていたら

ギターで「桜」をイメージした曲を作る・・とかいう番組をやっていて

その中で

「桜はそれぞれの人がそれぞれの思い出を持っている」って言ってた。

そうかもねぇ・・そう思いながら、自分の場合は・・と考えたとき



「春なのにコスモスみたい」という、昔、確か化粧品会社の口紅のCMだと思うけれど

その歌がふいに頭に浮かんで、そうして、青い空や風の色やオフィス街や・・笑顔や

いろいろなものが

フラッシュバックのように私に・・きた。





大学生の頃

事務のアルバイトで春休みの間、勝鬨橋辺りに通っていたことがある。

仕事場は殆ど大学生のアルバイトだけだったけれど

女子は私と、もう一人だけ。


もう一人の彼女は白百合女子大の一年生だった。

きっと「お嬢さん」だったのだろうけれど、そんな素振りも見せず

ただ、本当に天真爛漫で素直で・・それが育ちの良さを思わせた。

その子と私は,なんだか気が合って、バイト中も仲良く、他の男子学生も近づけないくらい仲良しで(笑)

ある日・・まだ明るい真っ昼間だったから、土曜日の半ドン(・・って懐かしい)だったのかもしれない

バイトが終わって、いつもならバスで最寄の駅まで帰るのだけれど

お天気もいいし暖かいし・・

歩いて帰ろうという事になって・・



二人で、遠くに高層ビルを見ながら(・・ったって、あの時代だから今の風景とは違うけど)

広い道を、いろんな話をしながら歩いたの。

途中で、どうしてそういう話になったのかは憶えていないけれど


その春にテレビMで盛んに流れていた

「春なのにコスモスみたい」(正式な題は不明だけど)を、

ふたりで、それこそ空にも届くような大きな声で唄いながら歩いたの。



「春なのに~コスモスみたい~
春なのに~コスモスみたい~
春なのにコスモスみたいっ
春なのにコスモスみたいッ♪」



って、それだけだったけど、何回も繰り返して大きな声で笑いながら。

空が青くて、風が気持ちよくて・・きっと街路樹が桜だったのかもしれない


若かったんだね~、本当に若かった。

大きな声で二人で

「春なのに」を唄いながら闊歩した。

シラフですよ、勿論。

ああ・・
だけど、ある意味酔っていたのかもね。

春の暖かい光に。

若いってことに。

楽しいって事に。



なんだかそのシーンを思い出して。



声のハキハキした、目も口も、笑い声も大きな・・

今思うとちょっとドリカムの美和ちゃんに雰囲気が似てたな。

フルネーム、憶えてるけれど、姓は変わったろうね。

名前は聡子ちゃん。

どうしてるかな・・

なんで、急に思い出したかな。

なんでビタミンに書こうと思ったかな。



ダンさんの友人がフェイスブックで大学時代の友人と再会(?)して話してるって。

フェイスブックってそういう力があるのかな。

携帯さえマトモに使えず、ネットでも

ツイッターさえしてない私だけど

ふとそんな事を思った。



♪春なのにコスモスみたい

春なのにコスモスみたい♪



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by dansantokamisan | 2012-04-21 20:30 | 若かりし頃の話 | Trackback

書庫の整理をしたら、こんなもんが出てきました~




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「少女フレンド」

私が、実際「少女」だった時代の漫画週刊誌です。

なっつかし~~っ!だけど、まさか、ん十年大事にとっておいたんじゃ、もちろんないです。

多分、古本屋で買ったものだろうなあ。

何々?昭和38年だと。

まだ自分は生まれてもないよ~~・・などと言うアナタ。まぁまぁ、そういわずに・・

もう生まれていて

少女マンガに夢中だったアナタ。

この表紙を見て、なんとなく「ん?」って思いません?

思ったら、かなりの「通」

表紙のイメージ・・ライバルの「マーガレット」に似てません?と、思うのは私だけかしら?


中を開いてみます。

あ・・突然ですが問題です。

これ、だ~~れだ?


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これは簡単ですよね。

「ザ・ピーナツ」と「こまどり姉妹」です。

こまどり姉妹は、今でも振袖着て歌ってないっけ?^_^;

ザ・ピーナツの出演してた当時のお化け番組(怪奇番組じゃないよ)「シャボン玉ホリデー」は有名。

植木等、好きだったな~

知らない・・かな?

じゃ、次は?
この二人、わかりますか?


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おねえさんのほうは・・「榊原ルミ」と言って、そのころの少女モデル。
のちに女優さんとしてテレビで活躍してました。

もう一人の小さい少女は・・・モデルの名前の所に「マーチン・シャーミン」って書いてあります。

これ・・「幸田シャーミン」です。「こんばんは!幸田シャーミンです」の、彼女です。

有名なジャーナリストだよ。


じゃ、次は?


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この少女・・「高見エミリー」と言います。

今は・・自民党の「鳩山邦夫」さんの奥さんです

当時、アイドルを射止めた鳩山(弟)さんでした~

それにしても・・時間の流れを感じないではいられない、この一冊・・

懐かしい気持ちでいっぱいだけど

でも、連載漫画を見ても、読んだ記憶が一切ないの。

多分、この時期って

私は「フレンド」から「マーガレット」に心変わりしていた頃なのだと思います。

マーガレットの連載まんがは今でもはっきり内容を覚えてますもん。

週刊マーガレットの古本があったら買っちゃうかも。

マーガレット連載漫画の中で特に好きだったのが

この漫画

懐かしついでに貼っておこう。

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by dansantokamisan | 2010-08-02 18:34 | 若かりし頃の話 | Trackback

タイトルは後ほど(?)

横浜に帰って、私が山梨に行くための支度で2階にいたときの事

母が上がってきて、私に「この間さぁ~」って話し始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに歯医者に行ったのよ~

ー母は虫歯がなく、8020・・80歳で20本は確実。半年に一回、歯石を取りに行くだけー

そうしたら後から男の子が入ってきてね。

隣に座ったの。

で、少ししたら「あのう~」って声を掛けられたの。

「もしかして〇〇さんのお母さんじゃないですか?」って

ー〇〇さんって私の事(^_^)vー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのあとの母の話は、こうだ。

「はい、そうですが?」って言う母に

「やっぱり!ボク、中学の時に同級だった〇田です」

って、その彼が言ったんだって。

え~~っ!!て母は驚いちゃって。

その彼を母はよ~~く知ってる。

知ってるけれど一瞬、名前を言われたときに

彼自身じゃなくて、彼の息子さんじゃないかと思ったって。

だけど、彼の息子さんなんて会ったこともないんだから。

母はその少し後、名前を呼ばれて診察室に行ったので

さほど話は出来なかったらしいけど。

あまり若くてビックリしたそうな。


まぁ、そうは言っても母の感覚だから~・・

流石に息子さんと間違うほど若かったとは思わないけれど


少なくても、〇田クンは

極端に体型や髪型が変わっていなかったっていうのは確かな事だな、うん。


良かった良かった。


近所だしね、


彼は商売してるから、そこに住んでるしね。


いつバッタリか判らないもん。


良かった良かった・・・






初恋の人には、あまり様変わりしてほしくないもんね。



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by dansantokamisan | 2010-07-07 10:36 | 若かりし頃の話 | Trackback

宛名のない葉書

ネット友からメール。

極々他愛もない事だったんだけど
レスした私の内容が「妖怪(運命)の悪戯ってあると思う」って。


同じようなことが重なるってあると思う。

いい事も、悪いことも、他愛もない事も。

その1

最近、掲示板をチェックしてたら
(うちは開設当初から、
書き込みがあっても、上にアゲないできたので《ちょっとしたウチのこだわり》
レス漏れがないかチェックする)

しまった!チェック漏れだ・・レスしない書き込みがあった・・ゴメン!
掲示板jでさりげなく、そのことを話題にしたら、
ちゃんと読んでくれていて「気にしないで」の優しいメールm(__)m


その2

昨日の「ビタミン」更新の作業の中で、二年前の記事にリンクさせようと当時の記事に飛んだ・・

すると・・・ん?鍵コメさんがいる?

返事をしてない?慌ててログインしたら・・

それは記事を書いてから一ヵ月半も経った時に、来てくださった応援コメだった。

当時、更新作業以外はログインしないまま見ていたので、見過ごしたのだ!

わぁ・・・・
折角コメントくれたのに、申し訳ない・・

二年も経ってしまった今更・・

だけど、その方のメアドがわかるわけでなし

ここでお詫びするっきゃないm(__)m

「レスし忘れの大チョンボ」


そして・・きょうの本題・・

その3

続くんだな~・・そういうこと。

「レスのし忘れ」を今頃見つけちゃうという事。
まさに妖怪の悪戯か(^^ゞ・・



昔の写真を整理している事は以前にも書いたし、

このHPでもたくさんの昔の写真を載せた。

きょうも、過去の写真を整理していると・・・その膨大な写真の中から

一葉の葉書が出てきた。

それが・・これ。


c0013922_205122100.jpg



表に返すと・・白紙。何も書いてない。宛先も、差出人も白紙。

これ・・本当はここにあるはずない一葉だった。

宛名には、東京の大森の一人の中学生男子名前が。

そして、差出人には、私の旧姓が書かれてなければいけないはずだった。



四半世紀以上前、

私が教育実習に行った「大森第〇中学」の生徒がくれた年賀状への返事・・だと思う。

実習生として通ってから二年も経った時にもらった年賀状の返事だったはず。

教育実習は本当に様々なエピソードがあり(いつか書きたい)

終了直後は、生徒からもたくさん手紙を貰い、横浜の家にも生徒達が遊びに来たが、

それは、いわば生徒達のイットキの流行のようなものですぐに静かになった。

そんな時に懐かしい生徒から年賀状を貰い、返事を書いた・・のだと思う。

だけど・・なんで、それが私の手元にあるのか?

宛先も書いてないから、もしかして書き直して別の葉書を投函したのだろうか?

もしかしたら・・もしかしたら、返事を出さないまま?

自分としては、そういうタチではなかったと・・思っているのだけれど記憶に無い。

もしも・・貰った年賀状に返事を出さないままだったとしたら

四半世紀以上も経った今だけれど・・


「ごめんなさい」

どうしてるかな・・あの子達。どうしてるかな・・あの頃出会った人生の先輩達。

「マゼランはね・・」と私の物真似をして、からかったあの子達。

「袖振り合うも・・」の真の意味を教えてくださった教頭先生。

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by dansantokamisan | 2010-06-04 21:35 | 若かりし頃の話 | Trackback

個人情報

ネット友の同じタイトルのブログ記事を読んで思い出したこと。

今、個人情報の管理って本当に厳しくて、

中には「え?そこまでする?」っていう事もあるよね。

学校の連絡網だって、

は学級全員の電話番号と連絡網図が渡されて

次に連絡した人が不在だと、とりあえず次の次の人に連絡をまわして、

スムーズに連絡網が行き渡るようにする。

そして後から、留守だった人にも電話して

「〇〇さんには、連絡しておきましたから」といえばいい。

だけど、今は(私が聞いた学校は)その個人情報とやらで

次の人の番号しかしらないのですって。

だから自分の次の人に連絡ができないと そこで連絡網が止まっちゃう。

連絡を取りにくい家庭に回す人は、いつもかなりのストレスとか・・

そうかぁ・・私が子育てしてるときとは時代が違うんだね~



そういえば

昔、私が学生の頃なんてもっともっとアバウトで

「個人情報・・って何?」っていう時代だった・・っていう見本みたいなものがあるのよ(^^ゞ


写真整理で見つけた懐かしい写真一枚
c0013922_811739.jpg




これ、雑誌・・学習雑誌っていうのかな・・の一ページです。

あの頃「〇〇時代」「〇〇コース」っていう学習雑誌の双璧があって

私は中高通して「時代」を購読してました。

(○○は伏字じゃなくて、学年が入る。中一時代とか、高一時代とか・・)

読み物も結構面白くて「小松左京」さんなども執筆してましたっけ。

その雑誌「時代」の「投稿ページ」です。

意見や、イラスト、俳句や川柳、

同じ年齢の仲間達の作品が勉強の合間(?)に楽しみでもありました。


で、ここにあるイラスト・・これ、私のです(笑)

でもここで注目していただきたいのは、下手な絵ではなくて・・

ちょっとズームイン

c0013922_8272316.jpg


わかります?

私の住所から本名、高校の名前までみんな載ってる(笑)

イラストだけではないです。

同じページに載ってる「意見欄(長髪に関する意見でした・・時代だね~~)」に

投稿した人も、住所・学校名付きの本名です((^^ゞ

今じゃあ、考えられないでしょう?

でも、当時は誰もこういう事を

不思議だとも如何なものかとも思わなかった・・思わないでも済んだんでしょうね・・

いい時だったかも・・ね




え?この後どうなったかって?

住所付きのイラストを載せていただい後、

しばらくは、たくさんのお手紙をいただいて、その返事に明け暮れました(^^ゞ

何人かの方とはその後、文通(なつかしい響き!)もして、お会いした方達もいます。

懐かしい思い出ばっかりで、今でも「あの人たち、どうしてるかな・・」と。

今、再会できたら、感激だろうな~・・


個人情報の話から、やっぱり「思い出話」になっちゃいましたm(__)m

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by dansantokamisan | 2010-04-09 09:04 | 若かりし頃の話 | Trackback